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  • 執筆者の写真Bottega di Pinocchio

GINO RAIMONDI 1


イタリアは日本よりも一足先に夏本番が近づいてきました!

イタリアの夏はとにかく日差しが強い。。。

暑いを通り越して、痛いという大味な夏ですw

日本のような湿度がないので日陰さえあれば大分涼しいのですが、肝心の日陰がない 泣

車を駐車するにも木陰を見つけては太陽の移動を意識しつつ停車位置を決めるというなかなかのサバイバルぶり。

小学生の時に時間による木の陰の変化について勉強しましたが、まさにあれをしているというわけですw


(アッパー仕上がり、この製甲を手掛けている職人さんは数々のブランドの縫製を手掛けてきた正にその道のレジェンド)



さてそんな暑い日々の中、徐々にとあるヴィンテージカーフを用いた革靴の完成が近づいてきたので今回はそちらについて書いていこうと思います。

一つの投稿にすべてを詰め込んでしまうととてつもないボリュームになってしまいそうなので、工程毎の進捗に合わせていくつかに分けて投稿を進めていきます。


1回目の投稿ではまずGINO RAIMONDI(ジーノ ライモンディ)とその地域についてご紹介していきたいと思います!


GINO RAIMONDIは日本ではおそらくほとんど馴染みのないイタリア北部のVeneto州という地域に工房を構えます

VeronaやVeneziaといえば少しばかり身近に感じるかもしれませんが、イタリア経済にとってもミラノを抱えるLombardiaに続いて重要な産業地域です。

イタリアに少し詳しい方なんかだと、VeneziaはFuriuli Venezia giulia州じゃないのかと思うかもしれませんが、実はVeneziaはれっきとしたVeneto州の街です。

これ、意外とイタリア人も間違えるので豆知識ですw


少なくともこの地域に革靴のイメージを持たれている方はほとんどいないと思います。

イタリアの革靴といえばマルケ州や私の過去投稿を追いかけてくれている方々ですとBologna、つまりEmilia Romagna州などのイメージが強いのではないでしょうか。

その他特別イタリア靴が好きな方でもNapoliやRomaといったところで、少なくともVenetoを真っ先に挙げる方はほとんどいないと思います。



(ヴィンテージベビーカーフの品質は抜群で画像からでも十分感じ取れるのではないでしょうか)


そんな日本人には全く革靴のイメージがないVeneto州ですが、実はイタリアにおける革靴の一大産地だったりします。

高級ブランドの革靴などは元を辿ればこの地域で作られていることも多く、LVなんかはこの地域にとてつもなく大きな工場を所有しています。

こんなにも革靴産業が活発そうな地域なのに、何故日本では全く馴染みがないのか。。。

疑問に思う方も少なくないのではないでしょうか?


これにはこの地域における革靴産業の発展の歴史が深く影響しています。


以前の投稿でも何度か記載している通り、イタリア靴をひとくくりで「イタリア靴」と捉えるのにはかなりの無理があります。

イタリア靴には地域的な特性がとても分かりやすく出てくるため、同じイタリア生産にも関わらず生産視点・単純な見た目をとっても全くの別物といえます。

わかり易く言えば誂え靴文化の中で生まれたBologna靴と工業化における大量生産を目的に発展したマルケ靴では明確な違いがあります。

Bolognaを起源にもつTestoni ,Enzo Bonafe , Sutor Mantellassi , Artioli , Stefano Branchiniなどと百貨店でイタリア靴として売られているマルケ靴やSantoniとでは見た目や作りも異なることが分かると思います。

見た目をより重視するRoma靴と実用性も重視するBologna靴とでは、トゥースプリング(つま先の反り返り)の高さが違うなど、語り始めればきりがないほど地域差が出てきます。

Roma靴職人がBologna靴職人の靴を見て「つま先から向こう側がみえちまうぜ」とトゥースプリングの高さが醜いと揶揄したり、逆にBologna靴職人がRoma靴を見て「あんな見かけだけの靴では疲れて歩けやしないぜ」と実用性の無さを揶揄する冗談があったりしますw

こうした特徴の発展も大きく歴史が絡んでいるのですが、そこまで話を掘り下げてしまうと一生この投稿が終わらなくなってしまうので少々乱暴な表現で締めくくろうと思います。


とにかくイタリアは「おらが町」を地でいく国です。

言ってしまえば靴界だけではなく、そもそも地域自体が別の国々の集まりみたいな感じです。いわばミニEUといいますか、地域ごとの括りも場所によっては自治体レベルでまるで別の国のような認識だったりしますから、革靴にもこうした影響があるというのが本来最も正しい表現なのかもしれません。

また別の投稿でこうしたイタリアについてもご紹介しようと思いますが、今回はこのまま革靴に戻りますw



(つり込みされたものの引き取りを終えてウエルトの縫い付けへ。。。)


こうしたことからも分かる通り、GINO RAIMONDIの地域Venetoにもその土地

ならではの靴作りがあるわけです。

それではこの地域の靴作りの歴史についてご紹介していきます。

Venetoにおける靴作りは誂え靴を土壌に発展しました。

この地域はVeneziaやVerona、Colli euganeiという都会や観光地に近く、こうした街の中心地に住む裕福な層や反対にこれらの街にアクセスがしやすい為他地域に住む裕福な層が別荘地とした地域です。

こうした富裕層がバカンスの間に誂え靴職人に自身の革靴を作らせ始めたのがこの地域における革靴文化のスタートで、この流れの中でタンナーや靴部材商社なども集まり革靴一大産業を形成しました。

誂え靴職人同伴でのバカンスというのは我々日本人にはいまいちピンと来ないとは思いますが、私が考えるにおそらく当時の富裕層における一種の「流行」だったのではないかと

推察します。

少し話は逸れますが、イタリアの街では至る所で「塔」を見かけます。

それこそ大きな街には何本と建てられており、Bolognaなんかはいくつかの塔が観光名所になっていたりする具合です。

この塔は中世に当時の富豪が自身の富を誇示する目的で建てたのが始りで、それがいつしか「流行」となりそこら中に作られることになった結果だったりします。

何故あえて塔なのかについてはあえてこちらでは端折りますが、とにかく元々は富裕層による富の象徴でした。

ここで知って頂きたいのは、こちらの富裕層は歴史的に富を誇示したがるという事で、これはこの塔の例だけではなく様々な歴史的遺産からも見てとることが出来ます。

これは貴族文化が長らく続いた(今でも多少名残は感じます。。。) ヨーロッパならではなのかもしれませんが、私が思うに当時誂え靴職人を同伴してのバカンスというのは、一種のステータス誇示の側面があったのではないかと思います。

いずれにしてもこの流行があったことにより、この地域における革靴文化が最盛を迎えたのは間違いありません。

当時、それがどれほどの勢いをもっていたかを実感できる逸話があります。

イタリアでは未だにマフ○アがかなりの力を持っているというのは、日本でも比較的有名な話だと思います。金があるところには必ず存在する彼らですが、実はこの地域にはおりませんでした。。。

その代わりに非常に強固な革靴組合が存在し、これがなんと彼らすら関わりを拒否するほどに強烈な存在だったようです。。。

これはイタリアでもかなり稀有なパターンで、当時この業界が如何に経済的にも政治的にも影響力をもっていたのかが分かります。



(つり込み後の雰囲気にはさすがの風格が漂います。このヌメッとした光沢の表情こそ、当時のベビーカーフの真骨頂。手入れをしていないすっぴんでこれだから末恐ろしい。。。)



とはいえ当然こうした「流行」も永遠には続かないわけで、少しづつ衰退の方向へ傾いていきます。


そんな衰退期にあったこの地域ですが、一部の勢いがある職人たちは誂え靴から既成靴の生産にシフトしていくことで中規模の生産拠点を形成していきます。

ここで一早くこの市場に目を付けたのがイタリアメゾンブランドで、それ故これらの中規模工場は自身のブランドではなくあくまでもOEM生産先としての地位を確立してきました。

これが一つイタリアにおける一大革靴産地にも関わらず日本での知名度が皆無な理由でしょう。そもそも表舞台には立っていないのです。

またもう少し興味深いところで見ていくと、Bologna靴との違いも見えてきます。

Bologna靴の誂え靴から既成靴への変化が自身のブランド化に対して、この地域ではそれとは異なるOEM生産へと変化してきたという点は非常に面白い違いです。


今回はGINO RAIMONDIの地域的特徴をご紹介する前段階として、イタリアにおける革靴一大産地としての成り立ちについて歴史的な側面をご紹介させて頂きました。

本当はさっさと特徴について進めていきたかったのですが、いつもの悪い癖でこうして長々と前置きを書いてしまいました。。。


このままでは日をまたいでしまいそうなので、続きはまた次回に投稿させて頂きますw


それではまた次回ご期待くださいー!


Bottega di Pinocchio

Yuki Takemasa

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